神道的生活〜神道とは生きることと見つけたり

神道とは、人生を充実させることと見つけたり

禊とは?その本質をイザナギの「黄泉の国ケガレ落とし」から学ぶ!世界初の禊ぎが意味するもの。

f:id:EitaMido:20190914171313j:image

禊(みそぎ)。

よく政治家などが使う言葉ですね笑

 

ご存知の通り、この禊という言葉は神道の言葉です。

 

禊(みそぎ)は、罪や穢れを落とし自らを清らかにすることを目的とした、神道における水浴行為である。 不浄を取り除く行為である祓(はらえ)の一種とされる

引用:禊 - Wikipedia

 

この禊を世界で一番初めに行ったのは、日本神話に出てくるイザナギです。

 

今回は、禊ってなんなのか、その本質をイザナギの世界初の禊から学んでいきたいと思います!!

 

イザナギが禊をしたのは、黄泉の国の穢れを落とすため

そもそもなんでイザナギは禊をしようと思ったのでしょうか。

 

イザナギイザナミという妻を亡くしてしまいましたが、諦めきれずに黄泉の国(あの世)まで追いかけにいきます。

ですが、イザナミに「なに死んだあとの醜い姿見てくれとんねんコラ」と黄泉の国から追放されてしまうんですね。

 

そこで黄泉の国でケガレた身体と心をリフレッシュするために川で禊をするのです。

その場所が「橘の小門の阿波岐原(たちばなのおどのあわぎはら)」と言われる場所。

 

ちなみに、イザナギは「よっしゃ、禊すんぞ!!」と川に入ったのではありません。

ただ単に。黄泉の国からのケガレを川で落とそうとしただけです。

汚れたらそれを落としたくなるのは生物の性ですからね。

 

その入浴の結果としていろんな神々が産まれ、後世まで残る禊の概念の原型となったのです。

 

禊の元となった、黄泉の国のケガレ落とを紐解けば、禊の本質がわかるということですね。

 

これらを念頭において、どうやってイザナギはケガレを落としたのかを見ていきましょう。

 

イナザギの禊ぎに学ぶ、穢れを落とす方法と禊の本質!

 

イザナギの黄泉の国のケガレ落としから、禊の本質を探っていきましょう。

 

イザナギは黄泉の国でついた穢れを落とすために、黄泉の国で身につけていたものをすべて脱いだり外したりしていきます。

ケガレを受けた時のものをすべて身体から外していくという考え方ですね。

 

ここに禊の本質があります。

禊ぎとは、自分から要らないものやケガレの影響を受けたものなどを取り外していく作業のことを言うのです。

 

それを日本神話では「衣類や装飾品を外す」という行動で表しました。

さて、イザナギはどんな衣類や装飾品を外すことで禊を行ったのでしょうか。

ひとつひとつ見ていきたいと思います。

 

①杖→衝立船戸神(つきたつふなどのかみ)

杖を突き立てると、衝立船戸神(つきたつふなどのかみ)が生まれます。

旅の休憩などで船を止めるときに、櫂などを突き立てて停めますよね。

この神は旅を終えて「さてここで禊をするか!よっこいしょ!」と杖を差したときの、ここで禊をしようという決意を表しています。

 

人が禊をする目的はその人の状況により十人十色。

イザナギは黄泉の国で憑いた穢れ(ケガレ)をはらいたいということですね。

禊をする理由は、過去の出来事から続いているケガレに原因があるのです。

その過去から現在まで続く因果に、ここで終止符を打たせる意味を持つものです。

 

②帯→道之長乳歯神(みちのながちはのかみ)

帯を捨てた際には道之長乳歯神(みちのながちはのかみ)が生まれます。

この神は、長い道を終えた時の安心感を意味しています。

 

サラリーマンでいうと、長い仕事が終わってネクタイを外す時。

女性なら帰宅してヒールを脱ぐときや化粧を落とす時。

後はコンタクトレンズを外す時でもいいかもしれません。

その時には、自分を取り巻いていた環境から解放された安心感がありますよね。

 

イザナギが帯を捨てたときには、これらと同じく解放された安心感を得ていたのかもしれませんね。

 

③裳→時量師神(ときはかしのかみ)

裳(も)とは、古代では腰から下に履いている衣のことを言います。

(ちなみに時代がたって奈良時代くらいになると、上着のことを指すそうです)

 

裳を捨てた時には、時量師神(ときはかしのかみ)が生まれました。

この神は別名「時置神(ときおかしのかみ)」とも呼ばれます。

 

今までの悩んでいた時間を止めて、気分を切り替えることを意味しています。

 

④衣→和豆良比能宇斯神(わずらいのうしのかみ)

次に衣を脱いで、和豆良比能宇斯神(わずらいのうしのかみ)を産みます。

名前の通り、「わずらわしいものをすべて失う(捨てる)」ということを意味しています。

 

禅の言葉に「放下著(ほうげちゃく)」という禅語があります。

着物を脱ぐように、わずわらしいものをすべて脱ぐといった意味の言葉です。

 

衣=わずらわしいもの、と言ったような共通のイメージが見られますね。 

 

⑤褌(ふんどし)→道俣神(ちまたのかみ)

褌(ふんどし)を捨てたときには、道俣神(ちまたのかみ)が生まれます。

 

道俣神(ちまたのかみ)とは、道がふたまたに分かれるという意味。

褌は股(また)、胴体から二つに足がわかれる部分を司るランジェリーですよね。

 

つまりこの神様は、どっちか選択する迷いを捨てたという意味を持っています。

 

⑥冠→飽咋之宇斯神(あきぐいのうしのかみ)

冠を捨てた時には飽咋之宇斯神(あきぐいのうしのかみ)が生まれます。

 

冠は地位や名誉、安定した生活や欲望などの象徴です。

その象徴を捨てるということは、地位や名誉・欲望をすべて捨てるということ。

 

飽咋之宇斯神(あきぐいのうしのかみ)はその名前の通り、食うことを飽きることを捨てる神様なのです。 

 

⑦手纏(たまき)→奥疎神(おきさかるのかみ)、辺疎神(へさかるのかみ)ほか

手纏とは、手に巻く古代のブレスレットのようなものです。

この手纏を捨てた時には、以下の神様がうまれました。。

奥疎神(おきさかるのかみ)、奥津那芸佐?古神(おきつなぎさびこのかみ)、奥津甲斐弁羅神(おきつかいべらのかみ)、辺疎神(へさかるのかみ)、辺津那芸佐?古神(へつなぎさびこのかみ)、辺津甲斐弁羅神(へつかいべらのかみ)

 

沢山の神様が産まれましたが、周りの人間関係をすべて忘れることを意味する神様です。

 

イザナギの場合は部下や妻であったイザナミとその部下などを指しているのでしょうね。

 

こうしてイザナギは、黄泉の国に行ったことで穢れた自分の体を、心身ともに禊ぎ、清めていきました。

この7つのプロセスが、禊をする際のプロセスになります。

 

この禊が済んだ後にもまだまだ神様が産まれるのです。

 

穢れから「禍い」が産まれ、禊をしてそれを流す神様がうまれる

そしてイザナギはさらに水の深いところに進んでいきました。

 

 最初の二柱の神は、黄泉の国にいたときの汚れたものから生まれた神(禍の神)で、ヤソマガツヒノカミ(八十禍津日神)とオオマガツヒノカミ(大禍津日神)です。

引用:イザナギとイザナミ 第6章 黄泉返りと禊ぎ

災い・禍いをつかさどる神様が2柱生まれました。

これは禊の過程で生まれたものではなく、黄泉の国にいた時にイザナギが抱え込んだケガレが引き起こす神として具現化したと考えてください。

 

ちなみに、この神様が禍いを起こすのではありません。

この禍津神は禍いそのものであり、あくまでも禍いはケガレから引き起こされるのです。

ケガレは災い・禍いをもたらすのだということを象徴しています。

 

イザナギは、禊によりこの禍いブラザーズを身体からそぎ落としました。

 

次に生まれた三柱の神は、黄泉の国で取り憑いた禍(わざわい)を取り除くときに生まれた神で、カミナオビノカミ(神直毘神)、オオナオビノカミ(大直毘神)、イズノメ(伊豆能売)です。

引用:イザナギとイザナミ 第6章 黄泉返りと禊ぎ

 

そして次に、ケガレや禍いをやっつけるときに生まれる神様を生み出しました。

 

ここで少し注意していただきたいのですが、この3柱の神様は禍いを取り除く神様ではありません。

穢れや禍いが消滅する過程の「作用」のことを言っているのです。

あくまで禍いを取り除くのはイザナギが行う禊であり、この3柱はその禊の作用であると考えてください。

 

これは私の見解ですが、上記の禍津神と3柱の神々はワンセットな気がします。

 

 

禊のために必要なエネルギーや禊の方法を確立させる

禍津神などを産んだあと、イザナギはさらに海にて禊を行います。

そして以下の神々を産みました。

 

海の底で身体を洗われた時に生まれたソコツワタツミノカミ(底津綿津見神)とソコツツオノミコト(底筒男命)。

海中で身体を洗われた時に生まれたナカツワタツミノカミ(中津綿津見神)とナカツツオノミコト(中筒男命)。

海面で身体を洗われた時に生まれたウエツワタツミノカミ(上津綿津見神)とウエツツノオノミコト(上筒男命)。

引用:イザナギとイザナミ 第6章 黄泉返りと禊ぎ

 

これらの神々は海に関する神様です。

古来、禊は海で行うものとされていたそうぇす。

禊を行う場である「海」にまつわる神様を産んだということは、現世において禊をするための場を出来上がったと考えられます。

 

 

 禊で「まっさら」になってから、「三貴子」が誕生する!

禊を完了して、心も身体もまっさらになったイザナギは、「三貴子」と呼ばれるすごい神様を生み出すのです。

 

その神様とは……

 

天照大御神

月夜見尊

須佐之男命!

 

この世界の中心となる神々が、禊を終えて産まれます。

これは、禊を行い「清明実直」な心に戻ると、神々に近づくことができるとともに、世界を作り出す原動力や活力を身に付けることができるということです。

 

イザナギの「黄泉の国のケガレ落とし」物語からわかる事

 

 この一連のイザナギ神産みでは、禊の効果がわかります。

 

ケガレを受ける(黄泉の国)

様々なものを外すことで、心身をまっしろにする(川での禊)

禍いが治まる(禍津神などの誕生)

新たなもの・世界がうまれる(三貴子の誕生)

 

イザナギの神産みのプロセスが、禊の効果をそのまま表していると考えます。

つまり禊の効果とは、穢れを落として新たな世界を作り出す自分にすることなのです。

 

こうやって読むと、日本神話って奥深いですね。