何かを始める時には、何かしらの志を持って始めることが多いですよね。
仏教徒になる人も同じように、志を持って仏門に入られる方が多いと思います。
今回は、四弘誓願(しぐせいがん)というものをご紹介したいと思います。
四弘誓願とは、仏や菩薩が共通して持っている願いのことです。
仏や菩薩に倣い、お坊さんなどはこの四弘誓願を心に誓っているのです。
四弘誓願とは、4つの大きな請願という意味です。
誓願には、次の3つの意味がある。 神仏に誓いを立てて、事の成就を願うこと。願掛け。 仏教において、仏や菩薩が一切衆生を救おうとして立て、必ず成し遂げようと定めた誓い。カトリック教会で修道者となる際に、神に清貧・貞潔・従順の三つの誓いを立てること。
このウイキの説明には、「必ず成し遂げようと定めた誓い」とあります。
このように強い誓いや理念は、実行していくうちに存在意義やアイデンティティになって行きます。
なので仏や菩薩とはどんな存在かを考えるときに、この四弘誓願は参考になるのです。
仏や菩薩が強い想いをもって達成しようとしている四弘誓願こそ、仏や菩薩の存在意義になってくるからです。
それでは四弘誓願とはどのようなものでしょうか?
ひとつづつ見て行きましょう。
四弘誓願の4つの誓い
四弘誓願(しぐせいがん)は仏や菩薩が必ず達成すると誓った4つの願いのことをいいます。
弘という字は、広い・大きいなどを意味する字ですね。
詳細を見ていただければ分かると思いますが、4つのうちどの請願も達成するのは困難なほど壮大なものになります。
無限に近い数があるものだったり、永遠に生まれてくるものであったり、そんなとても大きくて悠久たるものを相手に、仏や菩薩は日々働いているのです。
仏や菩薩は、この四弘誓願を達成しない限りは涅槃に行かないと誓っています。
アニメ・スラムダンクの主題歌ではありませんが「世界が終わるまでは 離れることはない」のが仏や菩薩ということなのです。
四弘誓願の内容は大体同じですが、宗派によって若干言葉や語句が違いますのでご了承ください。
1.衆生無辺誓願度(しゅじょうむへんせいがんど)
生きとし生けるものは全て救う、という願いです。
自分だけのためでは無く、人のため、命のため、世の中のために働く事を指しています。
無辺というのは、余すところなくという意味。
この世に常に生まれ続けてくる無数の命を、一つ残らず余すことなく救おうと願っているのです。
2.煩悩無尽誓願断(ぼんのうむじんせいがんだん)
尽きることのない煩悩を断つ、という願いです。
煩悩は行動をする上でのノイズであり、よく生きるために妨げになることが多いのです。
人は生きていれば煩悩が無限に湧いてきますが、これらをシャットアウトしていくことが大切だということです。
3.法門無量誓願学(ほうもんむりょうせいがんがく)
この世に無限にある道理や教えを全て学ぶ、という願いです。
法門とは、仏教の教えということ以外にも、もうひとつ意味があります。
それは生きるもの全てが仏道に入るための入り口という意味です。
それをサポートするためには、全ての生き物それぞれのことを知る必要があります。
4.仏道無上誓願成(ぶつどうむじょうせいがんじょう)
これ以上ない仏の道を成し遂げたいということです。
ベストを尽くす、という言葉が近いかもしれませんね。
仏の道とは、一般的には悟りの道と言われています。
これ以上ない悟りの道を歩んでいくという壮大なモチベーションを保ち続けるということです。
仏や菩薩は、衆生を救うためにその他の3つの請願を立てた?
上記の四弘誓願にて気がついた人も多いと思います。
衆生無辺請願度(衆生の全てを救う)は利他的なもので、その他の3つは利己的なものですよね。
3つの請願は利己的なものと言えど、自分の利益や欲望のための請願ではありません。
これらの3つの請願は、衆生無辺請願度を達成するためのものでもあるのです。
衆生を救うためには、まずは自分が煩悩を断つ必要があり(煩悩無尽請願断)、たくさんの知識や教えを知る必要があり(法門無量請願学)、そして自ら悟りを開いていく必要がある(仏道無常請願成)ということです。
冒頭の話に戻りますが、仏や菩薩とは何なのか。
衆生を満遍なく救うために煩悩を断ち切り、知識を得て、自らも悟りを開く存在が、仏や菩薩と呼ばれる存在なのです。