神道的生活〜神道とは生きることと見つけたり

神道とは、人生を充実させることと見つけたり

あなたやあの人は大丈夫?日本古来から言われているエセスピリチュアリストの3つのパターン!

最近、商業スピリチュアルがまた盛んになっていますね。

SNSが発達して、個人でもスピリチュアルな情報を発信できるようになったことが大きいのではないかと考えています。

商業スピリチュアルさんは玉石混交(石がかなり多め)なので、ぜひお気をつけくださいね。

 

さて、日本では昔からエセスピリチュアリストを批判する言葉がたくさん存在していました。

 

文字の法師、暗証の禅師、たがいに測りて、己にしかずと思へる、共に当らず。

引用:『徒然草

文字法師も暗証禅師もお互いにお互いを罵り合っているけど、お互いに同じようなもんで、どっちも間違っている。

という意味です。

 

稽古年をつみても、誦文法師、暗証禅師あるべし。

引用:『さゝめごと』

長年稽古をしているベテランにも、誦文法師や暗証禅師が存在する。

 

修行歴や年齢に関わらずダメな人がいるって事ですね。

 

上の二つの引用文の中で、文字法師とか暗証禅師とか耳慣れないワードがでてきましたね。

 

今回の記事では、ここで出てくる「文字法師」「誦文法師」「暗証禅師」の3つをご説明します!

 

文字法師(もんじほうし)

文字法師とは、教理や経文の研究ばかりして、実践的な修行をしない法師のことを指します。

仏教には「只管打坐(ただただ座れ)」という実践派の禅宗があるのですが、禅宗が他の宗派に苦言を呈す時によく使われていた言葉だといいます。

 

文字法師の概念を現代に当てはめるとするならば、スピリチュアルザッピングをしている人が思い浮かびます。

引き寄せの法則」「瀬織津姫」「龍神」「パワーストーン」などなどスピリチュアル界には次から次へとブームがやってきますが、深く実践せずに次から次に乗り換える行為をスピリチュアルザッピングといいます。

 

また、自己啓発本をたくさん買い込む層も文字法師タイプが多い気がします。

 

こういう人ほど理論や理屈には精通していますが、実際にやってみてどうなの?という話ができない人が多いのです。

言ってることは自己啓発本やそのへんのスピ書に書いてあるようなことばっかりで、感情や血が通っていないのでなんかダダ滑りで軽薄な印象がありますね。

 

 

哲学的な思索は楽しいですし、理論などを学んでいると万能感なども得られます。

自己啓発などはテンション上がりますしね。

実践的にやるとなると手間も労力もかかりますし、失敗という絶望を味わうかもしれません。

 

ですが文字法師は周りから見たら軽薄な人間になってしまっていますし、自分の人生を振り返った時に残るものが少ないのです。

 

 

誦文法師(じゅもんほうし)

誦文法師とは、なにも考えずに経文ばっかり読んでいる法師のことを言います。

 

誦文とは「経文を読む」という意味になりますが、読み方は「じゅもん」=呪文と同じになります。

誦文法師が経文を読みまくる理由は、功徳・ご利益を得て特をしたいからですね。

 

仏教で功徳を得るためには、自分を律して欲を捨て、善行を積むことが正しい道になります。

そこまでやりたくないけど、何かしらのパワーで得をしたいので楽なことはしますよ、という考えが根底にあるのでしょうか。

 

ある意味文字法師よりは実践的なのですが、簡単なことをして功徳を得ようとする部分では、現代の商業スピリチュアルに通ずるものがあります。

 

現代も「ノートに書くだけ」「願うだけ」「子宮に石を入れるだけ」などのカンタンなスピリチュアルが存在しますね。

この手の商法のものでは小さな行動を挟むため、本人はやった気になるのがまた厄介なところ。

 

引き寄せの法則などは結論としては存在するのですが、〇〇しただけで引き寄せられるという事はないです。

 

我々凡人は、物質世界においては物質世界の法則によって生かされています。

物質世界の法則の中で生きているという脳の無意識を外さない限りは、行動なしに自分の思考を現実にすることはほぼ難しいです。

 

暗証禅師(あんしょうぜんじ)

暗証禅師とは「自分にしか分からない、通用しない」知識をもっている人のことを指します。

ですが、暗証禅師に関する言説が多く、その定義もまちまちです。

 

・独りよがり、独善的な、単眼的な教理を持つ人

・座禅ばっかりで、教理や理屈を軽視する人

・悟ってないのに悟ったと勘違い、または騙る人

・自分だけにしか通用しない間違えた解釈や論理的に飛躍したり、破綻した教理を持つ人

・教理を自分の見たいように解釈をしている人

 

こう言った人を暗証禅師と呼んでいるそうです。

 

ここでの共通点として、暗証禅師の考えは客観的な見方に欠けていて、多くは自分の希望的観測や願望を教理と結びつけているようです。

 

 

共通することは、結果にコミットしないこと

文字法師、誦文法師、暗証禅師に共通すること。

 

それは、どれも結果にコミットしていないということ。

本当に結果にコミットして、そこから逆算できる普通の知能があれば、この3つにはなりようがないのです。

 

文字法師、誦文法師、暗証禅師をいつまで続けていても、本当に幸せにはなりません。

商業スピリチュアルや自己啓発講師のいいカモになってしまい、お金を搾取されるだけの人生になります。

 

実のない時間をいつまでも過ごさないためにも、我よしの心は捨てて、正しい知識と正しい行動を心がけましょう。