神道的生活〜神道とは生きることと見つけたり

神道とは、人生を充実させることと見つけたり

寺社の商業主義と参拝者のマナーの悪さは穴のムジナ。浅草神社の御朱印騒動から。

御朱印集めが流行ってますが、気になるニュースがありました。

 

東京都台東区にある浅草神社にて、4月末から5月はじめにかけて特別な御朱印を頒布されました。

平成→令和になった記念御朱印だそうです。

 

人気神社の記念御朱印ということで当日は多くの人で賑わい、限定数に達したため御朱印を手に入れることができない人も沢山いたということです。

 

今回はそこで起きたトラブルをご紹介します。

浅草神社フェイスブックから引用いたします。

 

三社祭期間中の御朱印対応について】

日頃は浅草神社へ敬神の念篤く多くの方にご参拝頂き、心から感謝申し上げます。

平成31年4月27日(土)から令和元年5月6日(月)にかけて、当社では「平成」「令和」の特別御朱印を、事前に告知の通りその日毎の数量限定にてお頒かちさせて頂きました。

(中略)

ただ、残念ながら中には、対応に当たっている神社職員や巫女に対し、
 暴言・恫喝また暴力に近い行為に及ばれる方、1人の職員を取り囲み罵声を浴びせられる方々、説明をしている最中に大声を出し遮られる方、遠方よりお越し頂いている事を理由に特殊な対応を求められる方、整理券をひったくるように受け取られる方、
神社をサービス業と捉えられ、受付時間の変更を提案される方、「こっちはお客さんだぞ」と仰る方、、、(こちらは二度と来社されないでください)
ましてや、神社が税金で維持管理されていると思っている方、
そして、神社に対し、全ての方に合わせた対応・改善を現場やSNS等で求められる方、
含め、その時その時の対応を批判される方々が何人もいらっしゃいました。
(中略)

更には、受けられた特別御朱印や参拝証明書はネットオークションやフリマアプリにて転売すらされています。
このような行為は、当社と致しましても断じて看過することはできません。
この行為により、当日御朱印を受けられなかった方がいると思うと悲しくて仕方ありません。

出典:Facebook 浅草神社2019年5月10日の投稿より

浅草神社

 

寺社にお参りや参観に来る人でマナーが悪い人は一定数いるのも事実。

御朱印集めをしてる人だけに関わらず、一般の参拝客やカメラ趣味の人などにも他人に迷惑をかける自分勝手な人種がいるのです。

 

実は私も御朱印を集めているのですが、過去数回トラブルになって御朱印を集めるのを控えています。

結構いるんですよ、横入りの輩が。

何回か手が出てしまったことがあり、神聖な場所にいるのになぜイライラしなくてはいけないのかと疑問になり、自然と足が離れてしまいました。

 

 

聖なるものが、俗なるものになったこと

今回のこの件を、日本人の民度が落ちたという論調をもって語る人がいます。

ですがそれと同じくらい深刻な問題が、この問題のウラに潜んでいるのではないでしょうか?

 

今回の浅草神社のトラブルだけではなく、神社やお寺に関連して言えることなのですが、

 

聖が俗に変わってしまった

 

ということです。

 

本来、神社やお寺は現世(物質界)の価値観を超えるものを見つめるためにある場所。

そんな聖なる場が、今や俗世間の物質的な価値観にまみれてしまいました。

 

神様に現世利益をお願いする、というのはまだ聖なるもの(神様)に祈る意識があるのでまだマシだと思います。

 

ですが今回の御朱印集めの件は、完全に聖なるものはノータッチになるんですね。

ただの日本風のオシャレでレアなスタンプを集めるだけの目的の人たち。

完全に俗世間の価値観(レアものが欲しい)を、俗世間のもの(御朱印スタンプ)で満たすためだけの、ただの売り場としての神社仏閣に成り下がってしまった印象が拭えません。

 

もし今回の問題児たちが御朱印を神聖なものと考えていたのであれば、聖なる御朱印を提供してくれる神社側の対応にそこまでの悪態をつけるでしょうか?

 

そして仮に御朱印が手に入らなくても「これも何かの巡り合わせ」「本当に欲しければまたここに来る機会がある!」と考えるのが、信仰心のある考え方だと思うのです。

 

 

「こんなに苦労したのに、時間も金もかけたのに、自分が得をしないのはイヤ!」ということでしょうか。

日本人の心から「聖なるもの」への意識が消えて、唯物論的な考えが根付いてしまったのではないのかと危惧をしています。

 

 

神社も御朱印でお金を集めた結果として受け入れるべき

そもそも、なぜ聖なる場所が俗世間の価値観に染まったのでしょうか。

浅草神社フェイスブックを見て、少し違和感を感じた部分があります。

 

御朱印を受けられる方の中でごく一部の方と思いますが、御朱印の本来の意義を今一度ご理解頂きたく存じます。

出典:Facebook 浅草神社2019年5月10日の投稿より
浅草神社

 

祈りと感謝を捧げる信仰の場である神社に対し、個人の価値観による利便性を求められる風潮となり、大変残念に思います。

出典:Facebook 浅草神社2019年5月10日の投稿より
浅草神社

 

いやいや、どの口が言ってるんだよww

 

って思いませんでした?

 

限定の御朱印という「限定商法」で射幸心を煽っておきながら、「信仰の場」と言っていることに違和感を感じませんか?

 

まさか射幸心を煽る結果として、信仰心がなく現世利益しか追求しない「お客さん」が出てくることが分からなかったということはまず無いでしょう。

 

 

神社側も資金集めのために御朱印ブームを利用している側面は否定はできません。

うちは「喜んでもらう為」だけに限定の御朱印を出したりしている!と主張されるかも知れませんが、それは単なる嘘吐きなのか神社運営をする能力に不安がある人なだけでしょう。

限定の御朱印が注目度を集める広報の役割は計り知れませんからね。

 

その恩恵だけを受け取り、リスクを受け取らないよ、というのは社会的に筋が通っていないというか社会性が乏しい考えだと感じるのは自分だけでしょうか。

 

浅草神社さんは「俺は客だぞ!」と言った人に対してもう来ないでくださいと非難したようですが、被害者ぶらずになぜこの参拝者が「客」という言葉を使ったかを改めて考える必要があると思います。

 

客というのは商売のサービスの受け手のことを指します。 

御朱印目当ての人に「自分は客だ」という意識にさせてるのは、供給側(浅草神社だけとは言いません)にも責任はあるのではないでしょうか。

 

ちなみに商業上の客は、欲求の充足と供給時のサービスの質を求めます。

今回は多くの人が神社に対して、その場で不満の声をあげたということですね。これを一概に参拝者側だけに非があると見て良いのでしょうか?

たとえばスーパーやコンビニなどで同様のクレームがあった時は、責任問題を疑われるのはまずは店側から。

お店側が客を捌けていない原因を追及し、改善をしていくことでサービスの質が向上してきた歴史があります。

 

今回は神社側の発信しか見てないのでなんとも言えませんが、浅草神社さんはサービスの質に問題はなかったのでしょうか?

 

例えば、人手不足に関してフェイスブック上に記載がありました。

限定御朱印という集客作戦を仕掛けたのであれば、しっかりと現場が回るように人材やシステムに投資をすべきではないでしょうか。

利益が見込めるなら派遣スタッフでも雇えばいいのです。

 

スーパーでレジに行列ができてクレームが起きました。レジが「こっちだって人が足んねーんだよ!品出しもしなきゃいけねぇしよ!」なんて逆ギレしても、そんなん知らんがなじゃないですか?

 

長くなりましたが、「限定商法」で現世利益を得る神社側が被害者のように発言をしていることに違和感があっただけです。

 

神社側が金儲けをしてはいけないなんて思いません。管理や運営には金がかかりますから。

 

また期間限定の御朱印を出すのは悪いことと思いませんし、神社や仏閣にスポットライトがあたるのは喜ばしいことだと思います。

限定御朱印を辞めるなんて思考停止に陥らずに、今後もこのまま続けていただければと思います。

 

ですが俗が交わった以上、上記のような御朱印コレクターとは穴のムジナなのではないでしょうか?

それなのに、あたかも神社側には全く非がありませんという姿勢はどうなのかと思います。

 

 

一番考えて欲しいのは、今まで連綿と受け継いで来た日本人の信仰を受け継ぐこと

先ほども言ったように、御朱印ブームなどで神社や仏閣に人が集まることは喜ばしいことです。

管理運営の資金があつまりますし、日本の信仰に関して興味を持つ人が増えていきます。

 

それによって信仰を次の世代に残せれば、これ以上の結果はないでしょう。

 

神社仏閣は、長い歴史の中で我々の先輩たちの信仰と祈りの場所としてあり続けてきました。

 

そんな先輩方の想いを次の時代、また次の時代に受け継いでいけるように、我々は考える時期に来ているのかもしれないと思わせる事件でした。