伊勢神宮への「おかげ参り」を犬がする理由とは?
時は江戸、庶民にとって伊勢神宮への参拝は「おかげ参り」と言って一生に一度は行きたい憧れの様なものとなっていました。
このおかげ参りは、江戸の庶民にとっては非常に特殊なものとして考えられていました。
例えば、
・奉公人や子供が無断で勝手におかげ参りをしても、とがめられなかった
・おかげ参り大金を持たないで出発をしても、「信心の旅」ということで道行く人たちから支えられて無事に完遂できた
などなどのエピソードがあり、江戸の庶民にとっての「おかげ参り」への熱意は相当なものだったことが分かると思います。
さらに身体が不自由だったり病気の人は、代役として他の人にかわりに参拝をしてもらっていたそうです。
しかし、それも頼む人がいない時は……
代打、犬!!
おかげ参りを、自分のかわりに犬にやってもらうことを指して「おかげ犬」と呼ばれていました。
歌川広重の有名な浮世絵で「伊勢参宮・宮川の渡し」という絵があります。
これは当時のお伊勢参りの様子を絵にしたものですね。
この絵の赤丸で印をつけたところには、しっかりとおかげ犬が書かれていますよ!
人々の善意を頼りに伊勢神宮まで
普通は知り合いに頼んで犬を伊勢神宮まで連れて行ってもらうらしいのですが、犬をひとりで旅立たせることもあったそうです。
さて、言葉も話せない犬がどの様にして三重県の伊勢神宮までたどり着いたのでしょうか。
今回は、福島県に伝わるおかげ犬「シロ」のエピソードを軸にご紹介します。
福島の市原家当主・綱稠(つなしげ)は病気のため、毎年恒例のお伊勢参りに行けなくなってしまいました。家中相談の末「よっしゃ、犬に行かしたろ!!」ということで、シロが代役で参拝することになりました。
まずは、この犬が野良犬でなく、立派な代参者として伊勢神宮に行くことを示すために、お伊勢参りをする旨を書いたものやしめ縄を犬につけました。
「シロ」の場合は、「この犬は人の言葉をわかるので、お手数ですがお力をお貸しください」と書いたものを身につけさせたといいます。
そして頭陀袋や巾着などに、道中に必要なお金や家までの道順を記した紙をいれて身につけさて、送り出したそうです。
このお金は、不思議と盗まれることは無かったといいます。それどころか忠犬を応援するために、さらにお金を入れてくれたり、小銭が多かったら銀に替えて荷物を減らしてあげたりしたそうです。
それからはリレー方式、ヒッチハイク方式で伊勢神宮まで連れて行ってもらえたのだと考えられています。
人の善意をまた別の人の善意がつなぐという、日本固有の信仰の仕方かもしれませんね。
そしてシロは2ヶ月後に伊勢神宮大麻を持って、無事に伊勢参りを終えて福島の市原家にもどってきました。
もう超かわいい。
動物にもやさしい「仁」と「思いやり」をもった日本人
日本の信仰の深さと懐の広さ、そして動物に対する愛情と民度がこの話から伺い知ることができます。
こういうケースは世界のどこを探しても見られない物語です。
まず、伊勢神宮という日本でもトップクラスに神聖な場所に「犬」を入れるということがもう考えられません。
聖地に犬を代打で送るという、柔軟かつ奇抜なアバンギャルドな感じの発想。
イスラム教のメッカに犬がひとりで参拝なんて聞いたことないですもんね。
また道中でも路銀を盗まず、見ず知らずの人の目的に力添えをしてあげる。
「おかげ犬」は、日本ならではのエピソードだと考えることができますね。
もともと日本は、犬や猫などの小動物に優しい国だと言われていました。
ウサギとカエルの鳥獣戯画というものがある通り、古来より日本人は、小動物と人間を「いのち」として区別していなかったことが分かります。
そんな日本人の価値観を誇りに思うと同時に、次の世代まで伝えていかなくては行けないと考えさせられます。