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「悪人こそ救われる」悪人正機説とは?なぜ悪人が正しいのか納得いかない方へ!!

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悪人正機説って聞いたことありますか?

 

善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人をや

by浄土真宗開祖・親鸞

 

むかし親鸞というお坊さんが、

 

「善人でさえ極楽に行けるのに、なんで悪人が極楽に行けないというのか。行けるやろ、余裕で。。」

 

と言いました。

 

この話を聞いた時に、自称善人の僕は思ったんですね。

 

なんでやねん!悪人なんて迷惑かけまくっとんのやから、地獄に一生おれや!!このやろう!

 

自称善人の皆さんもまぁまぁ同じ意見ですよね?

 

 

そんな悪人正機説に関して、みなさんにもっと知ってもらいたいと思って記事を書きました。

 

 

なぜ悪人が救われるのか?

 

 

親鸞浄土真宗という仏教の流派の開祖です。

 

親鸞が考える浄土真宗の教えとして、

 

聖道の慈悲というは、ものを憐れみ愛しみ育むなり。

(ほとけ様の慈悲は、全て一切のものを憐み、いとおしみ、大切に育んでくださいます)

歎異抄

 

というように、救済対象は「すべて一切のもの」としているのです。

 

この考えが根幹になって、悪人正機説が生まれてきました。

 

自分を悪人だと気がついている人はもちろん、善人だと思い込んでる傲慢な人も救ってくださいますよ?

 

善人・悪人とは、法律上や道徳上の事を言っているのではない

 

 

そもそも、この世界に善人はいない

そもそも、この

 

世には完璧な善人なんていない

 

というのが、親鸞の考えでした。

 

ひとえに賢善精進の相を外に示して、うちには虚仮を懐けるものか

歎異抄

 

「自分は善人であるとばかり考えているが、本当は自分が悪人である事すら気づいていない」

 

という意味のことを言っています。

 

全ての人は、煩悩があり、それに従って生きています。

おいしいものを食べたい、魅力的な異性と付き合いたい、たくさん寝ていたい・・・

こんなわかりやすい煩悩以外にも、

もっと目立ちたい、賞賛されたい・・・

などと、全ての人は煩悩から自由にはなりません。

 

というより、生きるということは、煩悩の上にしか成り立たないのです。

極端なことを言うと、生きるためには他の生き物を食べなくてはいけないし、体を休めて睡眠をとらなければいけません。

 

さるべき業縁のもよおせば、いかなる振る舞いもすべし

 『歎異抄

 

親鸞という聖人も、「状況が状況なら、俺だってどんなことでもやっちゃうかもしれないよ」といっています。

ですので、煩悩は生きるために必要なもので、生きている以上は煩悩に縛られているのです。

 

だからこそ、阿弥陀仏は我々を助けてくれると。

 

阿弥陀仏の光に照らされた時、人は初めて自覚するといいます。

 

「自分は善人ではなく、悪人である」と。

 

 

悪人は神仏の助けを必要としている

 

全ての人は完璧ではありません。

 

だからこそ、悪人は 

 

 

全ての人は完璧ではない。

 

だからこそ、完璧である神仏に

 

 

善人と悪人はどっちが救われるか

 

ここまでの話を整理すると、

・自分を善人と考えるのは「傲慢」「思い込み」である

・人はすべて悪人である

・そして自分を本当に悪人と自覚する人は、阿弥陀仏の光を受けた人である

 

 

善人と思い込む人は成長しない、しようとしない

 

 

じゃぁ極楽に行くために悪事をしたるわ!という「本願ぼこり」に注意!

 

いるんですよね、こういう人。