神道的生活〜神道とは生きることと見つけたり

神道とは、人生を充実させることと見つけたり

「いただきます」「ごちそうさま」の和歌!食べ物への感謝を大切に。

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女の子と食事をするときには、「いただきます」「ごちそうさま」は手を合わせてしっかりと言った方が好感度があがります。

まぁ今回の記事には関係ないけどね!

 

というわけで、今日は「いただきます」「ごちそうさま」に関する和歌をご紹介します。

 

以前は食前・食後のお祈りの時に使った和歌とのことです。今では神道を信仰している家系などでしか聞かれません。

 

食前食後のお祈りと聞くと、キリスト教の信徒さんみたいですね。

食前食後に祈りを捧げるのは人類共通事項なのでしょうか。

 

今回ご紹介する和歌は、本居宣長という国学者が作ったもの。

古神道=日本の古代の考え方を研究していた学者さんですね。

本居宣長が著した「玉鉾百首」という道歌集からの引用です。

 

 

「いただきます」の和歌

「たなつもの 百の木草も 天照す 日の大神の 恵み得てこそ」
(たなつもの もものきぐさも あまでらす ひのおおかみの めぐみえてこそ)

意味:どんな食べ物も、全てのものは天の働きと恩恵を受けた大切なものです。これも自然の恵み無くしては育たなかったものなので、神様からのものとしてありがたく食べましょう。

 

たなつもの=食べ物と考えてください。

個人的な見解としては、「田根つもの」「種つもの」で、稲や栽培したものを指すのかなぁと思ってみたり。

百の草木は、自然に生えている草木やその果実の事です。

 

また、天照すというのは、神様のアマテラスのことのほかに、もう一つ意味があります。

天照すというのは、天が光を照らす=天からの寵愛や恩寵を受けるというイメージを持っていただければ分かりやすいかもしれませんね。

 

そもそも、天=自然の恵みがなければこの食物は育っていません。

その食物が育つ環境が整って、そしてうまくそのいのちが育って、やっと我々の食卓に上がっているのです。

天が光を照らし続けて、その食物の発育を見守ってくれたからこそです。

 

つまり、ここで感謝すべき天の恵みは

①食べ物を育ててくれた環境や運、養分など

②食べれるまで大きく育ってくれたいのち

の2つを指してるのではないでしょうか。

 

そしてこの2つが揃ったのは、日の大神のおかげですよ、っていう意味の和歌ですね。

 

 

 

「ごちそうさま」の和歌

「朝宵に 物喰ふごとに 豊受の 神の恵みを 思へ世の人」
(あさよいに ものくうごとに とようけの かみのめぐみを おもえよのひと)

意味:また今度からも、朝食や夕食を食べるごとに毎回、豊受大神の恵みを思い出して感謝してくださいね。

 

 

なんとなく「来週もまた見てくれよな!」という、ある意味次回予告的なニュアンスを感じ取るのは私だけでしょうか?

「食事時はまた感謝してくれよな!」的な。

 

『朝宵の』とは、これから毎食ずっとというニュアンスがあります。

次のご飯だけではなくて、これからずっと食べる毎に感謝していきますよ、と。

 

なので、この和歌は未来に対する誓いと同じなのです。

未来のことを神様に誓う事により、これからもずっと食べ物に困りませんようにという祈りを捧げているのがポイントですね。

 

ちなみに、豊受大神とは食べ物の神様のことです。

伊勢神宮の内宮には天照大御神が鎮座していますが、外宮にはこの豊受大神が祀られています。天照大御神の食事係ということです。

 

 

食前食後に和歌なんて唱えられない、でも…

まぁもちろん、食前食後に和歌なんて唱えられら訳ありませんよね。

冒頭で女の子とのご飯の時に「いただきます」「ごちそうさま」っていえば好感度が上がるよって書いたけど、さすがに和歌詠んだらドン引きなのは誰でも分かります。

 

ただでさえ「いただきます」「ごちそうさま」も言えない人が多いご時世。

でも、この和歌のような気持ちで食事について考えることも大事です。

 

食前には、食卓に届くまで育ったいのちそのものと、それを育てた環境=天に感謝をすること。

食前に天を想うことで、食べれるという事に関して感謝をしながら食べることができる。

 

食後には、今後もずっと神様に感謝をしていきますと誓うことで、自身が傲慢になることを戒めるとともに、将来も食べ物に困らないようにお祈りをする。

 

このような気持ちで、日々の食事を整えていきたいですね。