神道的生活

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デスノートのキラは正しかったの?キラ信者にみる法律、司法の欠陥編。

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15年ほど前、世界を騒がせた漫画が世の中に現れました。

 

その名も『DEATH NOTE』(以下デスノート)。

 

先日、藤原竜也さん主演のデスノート実写版を見たので、15年前に巻き起こった議論について書いていこうと思います。

 

まずはデスノートのあらすじ

 

日本一の天才高校生、夜神月(やがみ らいと)。

ある日、月の元に空からノートが落ちてくる。

 

そのノートが「デスノート」。

名前を書かれた者は死ぬという死神のノートである。

 

退屈をしていた天才・月は、そのノートに世界中の犯罪者達の名前を書きはじめる。

新世界の神となり、心のやさしい人だけの世界を作るために。

 

どんどん死んでいく犯罪者や極悪人に気づいた民衆は、神が天罰を下していると考え、「キラ様」として崇めていく。

 

しかし国際警察は、キラを大量殺人の犯罪者として、探偵「L(エル)」を中心としてキラを追い詰めるがー。

 

 

デスノートが巻き起こした議論とは?

 

当時デスノートは社会現象となり、外国ではデスノートを模した殺人事件も起きたほど。

 

さて、このデスノートである議論が巻き起こった事はご存知ですか?

 

それは議論というより、読者の疑問に近いかもしれません。

 

キラは悪なのか?

 

死んでるのは犯罪者や極悪犯のみ。

 

確かに世の中には「死んだ方がいい人間」が沢山います。

いじめ、カツアゲ恐喝、レイプ犯、迷惑行為、などなどの犯罪は、死刑になる程のモノではありません。

しかし、そういう事をする人間は、その場限りの過ちで軽犯罪を起こす訳ではありません。

その思考やスタンスから来る行動が、他人に不幸や影を振りまいているのです。

 

こういった人間が多くなれば、社会の風紀は乱れるでしょう。

善良な市民は割りを食って、悪人がのさばる世の中は続いていきます。

 

そのような悪人に天誅を下す「キラ」に読者の支持が集まるのは当然の事のような気がしてなりません。

 

 

作中やネットでのキラ反対派の主張。それに対する反論。

 

作中でのキラ反対派の理由として、罪刑法定主義が主に挙げられていました。

 

罪刑法定主義に則っていないから

罪刑法定主義って難しい言葉に聞こえますが、とても簡単です。

罰は法律によって決められなければいけない、という意味です。

つまり、自分たちで勝手に死刑!とか無罪!とか決めてはいけないという事ですね。 

 

裁判所で罪を決めて、それに合った罰を与えなければならないのです。

ですが、キラによる裁きは、法律に則った裁きではないから反対だという主張です。

 

 

ですが、この主張は的外れなものであると考えます。

 

法律の歴史を勉強していると、法律はまだ発展途中だということが分かります。

人類は誕生して以来数千年、時間をかけて人を裁く方法を試行錯誤して進歩をしてきました。

 

現在の法律制度も完成形ではなく、まだその進歩の途中にいます。

つまり、コンピュータと同じでまだまだ改良の余地がかなりあるのですね。

 

そして、もしかするとキラが法律制度の発展の為のキーマンだったのかもしれません。

 

 

ワードやエクセルがあるのに、紙に手書きで表を書く人間はもういないでしょう。

 

作中でのキラの全面的な否定は、ワードやエクセルを否定して、紙と定規で表を作れと言っているようなものなのです。

 

 

夜神月の考えひとつで善悪が決まる独裁性

キラが悪人を裁く基準は、夜神月の思想や考えのみに基づいています。

つまり、夜神月がいいと思えば殺さないし、悪いと思った人間は罪が軽くても殺していく。

 

夜神月は神ではなく人間であり、しかもLの挑発に乗るなどの「子供っぽい」一面も持っています。

人間は誰しも完璧ではないので、暴走の危険性があるというのがこの主張です。

 

ですが、この考えも正当性がありません。

 

 法は確かに万人に平等ですが、法律にもいくつかの問題点があります。

人間も不完全なように、法律も不完全なものなのです。

 

キラ信者にみる、法律の問題点

 

「人を殺してはいけない」という法律が無いのはご存知の方も多いと思います。

 

日本の法律が殺人に触れている部分の一番有名な箇所は、刑法199条の「人を殺したる者は死刑または、無期もしくは3年以上の懲役に処す

」という部分のみなのです。

 

日本では、人を殺しただけでは罪に問われません。

 

人を殺し、被疑者として立件され、裁判で証拠を提示され、それでもってはじめて罰せられるのです。

 

おそらく、ここが法律の限界なのでしょう。

そしてこの限界の部分が世の中にフラストレーションを生み、キラへの賛同に繋がったと推測できます。

 

・ 法に書いてない事はしても良い。

善悪の判断は、法律のみによります。

現在でも、言葉巧みに誘導する営業マンや詐欺まがいの行為をしている企業がかなり多くなってきました。

 

また不倫と同じく、見つからなければ何をやっても良いと考えている人もいます。

 

彼らの判断は、道徳ではなく法律です。

法律に違反していないということを楯に、やりたい放題をしている人や企業が数多く見受けられます。

 

・法律には抜け道がある

悪いことも、裁判で有罪の判決が出ない限りは罰がくだりません。

例として一番分かりやすいのは、精神障害者のふりをして無罪に持ち込もうとする殺人犯のケースでしょうか。

 

このように、悪いことをしても捕まらない人がいるのです。

 

・法律に引っかかるかどうかを決めるのは、結局人間である

2017年の流行語に、忖度という言葉がありました。

 

警察官自身が交通違反をしたにも関わらず、見逃されていたという事件なども多々あります。

 

結局は法律を運用するのは人間です。

その人間の感情や好き嫌い、利害や思想が刑罰に反映される事がままあるのです。

 

・手続きの煩雑さで、軽犯罪などは見逃されてしまっている

例えば騒音被害や、学校でのイジメ犯罪など、小さな犯罪は裁かれません。

 

その小さな犯罪や悪事が、いかに世の中を住みにくくさせているか。

その隠れた世の中の不満に応えたのがキラだったのかもしれません。