神道的生活

神道とは、人生を充実させることと見つけたり

老人の役目は、老いる姿・死ぬ姿を見せること

少子高齢社会と言われて久しいですね。

バスに乗った時、電車に乗った時、周りを見渡すと高齢者ばかりという光景は見慣れた頃ではないでしょうか。

 

さて、高齢者の方は、自身のことを「もう生きていても役に立たない」のだと考えている人も少なくありません。

 

ですが人生の先輩として、子供や若年層に最期の姿を見せるという役目があります。

 

 

人生の有限性を伝えること

 

20代のころに、仕事で老人ホームに行く用事がありました。

 

フロアにはたくさんの高齢者がいらしたのすが、車イスに乗っている方や、寝たきりの方、胃ろうをしている方など、沢山の方がみえました。

 

そこでは高齢者の方とお話する機会がありましたが、そこでお話をいただいた事は、今でも記憶に残っています。

 

「手足が動くうちに、モノが噛めるうちに、好きなことをやって好きなものを食べておいた方がいい。」

 

寝たきりなったり、身体が不自由になったりしめ始めて、自由のありがたみがわかると言います。

 

言葉で言うと陳腐に聞こえますが、実際に手足が不自由で、認知症も進んでいる方を目の当たりにしたときに、その言葉が心に響きました。

 

手足が動くことのありがたさと、いつかは身体が言うことを聞かなくなることを、その身をもって下の世代に教えていくべきだと思います。

 

 

「徳のある老い」というお手本

 

平均年齢が30代前半のベンチャー企業の社員の不満のひとつに、人生のお手本がいないという事があります。

30代40代と年齢を重ねていくにつれ、どんな大人になればいいのか分からないという若手社員が少なくなかった事を覚えています。

 

同じように、若い世代はどの様に老いればいいかわかっていません。

老いるということの着地点が見えていないのです。

 

理想的な老い方をを表す言葉で、「好々爺」という言葉があります。

こうこうやと読み、善良で徳のある明るい高齢者という意味の言葉です。

 

さて、現在の高齢者の方々は好々爺と呼べる方は少ないと感じます。

自分のことしか考えずに、迷惑を撒き散らす。

好々爺の反対である、「老害」という言葉も市民権を得つつあります。

 

高齢者の方には、背中で我々の行く末を見せていただければ幸いです。

 

 

慈悲心を覚えさせること

 

人は誰でも老います。

老いとは、弱くなっていくということ。

 

子供は、身近な人が弱くなることで、自分もずっと強いままではないと知ることができます。

自分もいつかは弱くなるということで、弱者が他人事ではなくなります。

 

そこに一抹の慈悲心が芽生えてくるのです。

 

「年寄り笑うな、行く道じゃ」

という言葉があるように、自分も確実に弱くなる、だからこそ弱さに共感して手を差し伸べる事を教えてあげてください。

 

人が死ぬとはどういうことか

 

おじいちゃんおばあちゃんの最後の役目は、最期の姿を子供達に見せることです。

 

現代では、子供を祖父母の死に目に合わせない親が増えているといいます。

そのため人の死を実感できない子供達が増えているといいます。

 

私が祖父母の死に立ち会った時に教えられたことは沢山あります。

 

・死の存在と死の意味を理解できたこと

・人生の有限性を実感したこと

・心の琴線に触れることで、命の尊さを感じたこと

・取り戻せないとはどういうことかを知ったこと

 

こういったことを感じられたことで、自分の人生への向き合い方と、他人と他人の大切な人への接し方が変わったような気がします。

 

祖父母が命を使って最期に教えてくれたことは、しっかりと子供達の中に生きているのです。

 

私も最期は、胸を張って死に様を見せられるように、頑張って生を全うできればと思います。

 

 

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老いや死ぬということはネガティブに語られがちです。

私もそうですが、死を避けたいという気持ちがある以上は当たり前ですよね。

 

ですが、老いや死はこの世界に有意義な種を残す可能性を秘めているのです。

 

自分の死を無駄にしないためにも、まずはしっかりと生きることが大切だと感じました。