神道的生活

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同じ儒教を学んでいたのに、なぜ中国と日本では民度が違うのか

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日本と中国の関係というと、「民度」というワードを連想する方も多いのではないでしょうか。

民度という言葉が市民権を得たのは、2004年の石原慎太郎都知事の発言からです。

2004年に中国でサッカーのアジアカップが開催されていた時の出来事です。

中国の観客は日本の国歌に敬意を示さず、中国が関係ない試合でもブーイングの嵐を巻き起こしていました。

その光景をみて、石原慎太郎都知事が「中国は民度が低いんだからしょうがないよね」と発言したのがバズったのです。

そこから民度という言葉がネットを中心に広まりました。

 

民度とは、マナーや道徳的観念などのことを指します。

 

確かに、急増する中国系移民を見ていると、民度が低いと言わざるを得ません。

ツバ吐き、ゴミのポイ捨て、騒音、近所のルールを守らないなど、日本人には考えられない人が多いように感じます。

 

 

しかし日本人と中国人の民度の違いに関しての疑問があります。

 

 

同じ儒教を取り入れたのに、なぜ日本人だけが民度が高いのか?

 

これは中国の掲示板でも度々議論の的となっているトピックでもあります。

ご存知の通り、儒教とは古代中国の偉人・孔子が興した学問です。

その儒教の祖国であるはずの中国の民度は、何故日本に負けているのか。

 

 

▼中国人の現世利益のみしか考えない=唯物主義的な考えのデメリット

 

中国の方と接してきて思うのが、かなりの現実主義的な考え方であり、利益を尊重する考え方をしています。

また儒教では、人間至上主義の価値観を説いています。

人間は人間の社会によってのみ生かされるというスタンスです。

 

人間至上主義というと聞こえはいいですが、その実は自己中心主義であるという事です。

中国人の言う人間至上主義とは、他人を尊重することではありません。

繰り返しになりますが、自分の利益や損害は人やモノによってのみ与えられる、という考え方です。

例えば、法律に書いていなければモラルに反してもオッケー。

法律に書いていても、人に見られてなくて、捕まらなければオッケー。

 

人からの評価は、金と成果と見せかけの偽善である。

 

要は、人に見える部分や自分の利益損害に関わる部分以外は重要では無いのです。

 

中国では先日、「車でひとを殺したけど、保険に入ってるから問題ないよ!」という発言をした男が話題になっていました。

 

これが唯物論=人間に必要なのは目に見える物質的な利益と考えだけ、という中国人の考え方の悪い側面です。

 

論語の唱える人間至上主義のみを徹底し、それ以外の要素を排除してきました。

そして論語で唱える礼節を形骸化し、形だけのものにした結果が現在の他者への尊敬や敬愛なき中国なのです。

 

 

日本精神のベースには縄文人の魂があった

 

日本人は、縄文時代から続く精神があります。

その精神とは、「和をもって尊しとなす」という言葉に集約されています。

 

豊かな自然と穏やかな人々の中で、縄文人は和合の精神を育んできました。

和合とは周囲の人間との和だけでなく、先祖や自然との調和、一体化をしていくという精神です。

そこには現世利益以外にも、目に見えないものも尊いとして価値を見出しています。

 

日本は大陸から儒教を取り入れてきましたが、精神的なベースは縄文から育んできた和合の心でした。

 

天網恢々疎にして漏らさず(天はすべてを見ている)という言葉が論語にあります。

儒教の元々のベースも天=目に見えないものを尊敬するという考え方にあるのです。

 

その儒教の天の思想と、日本人が育んできた和合の価値観は似ています。

儒教はもともと、自分も相手も尊敬して大切にしていくことがいい社会を作るコツだと述べています。

日本人としてはなんとなく大事にしていた価値観だったため、それを明文化しノウハウ化している儒教を受け入れやすかったのですね。 

 

まとめ:民度の違いは、儒教の捉え方の

 

 

その為、日本では縄文時代から育んできた精神を具体化する為に儒教を取り入れました。

儒教に書いてある人間至上主義の考え方を、和合の精神をさらに発展させる為に利用したのです。

 

 

逆に中国は自己中心主義的な人の世をまとめる為に儒教を利用しました。

当時は様々な国が入り乱れ、略奪や殺戮が繰り返される乱世の世でした。

そこには和合の精神は無く、己の生存のみが肯定される殺伐とした世界でした。

そのため儒教は、現世利益や自己中心主義の考えの人々をまとめる為に広められました。

儒教を信じる人のベースが自己中心主義、自己利益主義なので、儒教も自己の利益の為に解釈をされることとなります。

 

なので、もともと論語に書いてある目に見えないものを尊敬するという精神を捨てて、都合のいい部分のみを抜き出して来たのです。

 

 

ハサミは使う人によって武器にも凶器にもなります。

人の教えも同じです。

使う人によって毒にもなり、薬にもなっていくのです。

 

 

中国の的外れな民度向上計画

 

現在、中国では民度向上運動が活発化しています。

ネットでも、日本の民度を見習おうという機運が強まっているのを感じます。

そういった中国人の方たちを、「精神的日本人」というようです。

 

 

しかしその理由が、外国への見栄や外聞の為なのです。

この考え方で民度向上を目指しても、外面だけのハリボテ民度となります。

 

日本人は、他人に尽くし和を広げることで、精神的な満足感を生み出します。

だからこそお互いに快く住める社会を創造することができました。

 

そういう精神性を育もうとせずに、ハリボテだけの民度向上を目指して、いずれ瓦解していきます。

 

 

日本の民度も危なし!

 

日本の民度も危ないです。

バカが増えてます。

 

・増えている外国人移民達の精神的な基盤が、自己中心主義に根付いている

・利益主義の社会構造 

・目に見えないものへの否定

・文化の断絶

 

中国の民度を笑えない日が、リアリティを持って近づいてきています。